神は存在するの?
神の存在を信じるのは、時代遅れで非科学的だと考える人がいるかもしれません。
果たしてそうなのでしょうか?この記事を読んで考えてみていただきたいと思います。
身の回りのものに目を向けると…
人工知能(AI)は目覚ましく進歩しています。今では、AI自身がインターネット上の情報を学習し、その情報をもとに文章や詩、絵を作成できるようになりました。
さて、そのAIが「人の手によらず、偶然に存在するようになった」とか、「人が文明を築くはるか前から、宇宙に存在しており、それを最近になって人が発見したに過ぎない」と考える人はいないでしょう。
AIは、長い年月をかけて、開発者が研究と試行錯誤を繰り返しプログラムを組んで、この世に存在するようになったのです。AI自身が自分で学習するという機能も、人間がその機能を開発したからです。
AIに限らず人間が作り出した身の回りのものに目を向ければ、その背後には、開発者やメーカーが存在することは明らかです。
では、人間はどうして存在するようになったのでしょうか?
初めから存在していたのでしょうか、偶然にでしょうか、それとも…。

すべての「はじまり」を考えてみましょう
もちろん、永遠の昔から人間が存在していたと考える人はいないし、その考えを支持するデータもありません。
そうなると、ある時点から人類が存在するようになったと考えます。
では、人間のはじまりは、どのようにして「はじまった」のでしょうか?
生物進化の考えでは、現存する生物のおおもとをさかのぼっていくと、最終的には窒素や二酸化炭素などの単純な物質に行き着きます。では、窒素や二酸化炭素はどこから来たのかと言うと、地球の誕生、さらには宇宙の誕生にまでさかのぼります。宇宙はどのようにして誕生したのでしょうか…?
「無」から「有」が生まれないことは、科学自身が大前提としているところです。宇宙を生み出す「原因」があるならば、理屈の上では、その「原因」となるものは初めから(永遠の昔から)存在していたことを認めなければならなくなります。しかし、そこが分かっていません。自然科学では、すべての「はじまり」に関しては未知なのです。
一方で、聖書は、すべての「はじまり」について、実にシンプルな答えを出しています。
神が存在し、万物を創造した
それは、「永遠に存在する神が万物を創造した」というものです。
「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記 1:1)
「未知なものはみんな『神』の一言で片づけて!」と思わないでください。
神が万物を、そして人間を創造したというのは理屈の上で、とても筋が通っているのです。
ところで、「神が存在しない」ということは証明されていません。自然科学では、神の存在を、肯定も否定もしていません。自然科学的な方法によっては神の存在について検証のしようがなく、「議論の対象にできない」というのが正確なところでしょうか(神は人間を超えた存在であるので、科学では捉えきれません)。
ですから、「神は存在する」という大前提を否定することはできません。
さて、「神が天と地を創造された」ということは、そこに神の意志があり、創造の計画があり、創造のプロセスがあったことを意味します。
「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、これを堅く立てた方、これを茫漠(ぼうばく)としたものとして創造せず、住む所として形造った方、まことに、この主が言われる。」(イザヤ書 45:18)
ちょうど、人が住む家を建てる時に、場所や建築方法、間取りなどを計画して建てるように、神は天と地を創造したと聖書は言うのです。偶然が積み重なり、なるようになって今の宇宙や地球になったのではないということです。
神が人間を創造した
聖書は、人間の創造についてこう言っています。
「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。』」(創世記 1:26)
これは神のご性質に似せて人間が造られたということです。私たちが、何か計画を立てたり、新しいもの(冒頭のAIのような)を作り出したりできるのは、神のもっている創造性に似せて造られたためだと説明できます。
また、私たちのからだの仕組みを見てみると、実によくできています。たとえば「見る」という動作一つでも、眼は自動でピントと絞りを調整し、見ているものを電気信号に変えて脳に伝えます。しかも、脳は、記憶と連動し顔認証までし、特定の人を目で追うこともできます。今日では、スマホやデジカメで当たり前の機能ですが、人間はそれをはるか昔からやっていたのです。そういった人間のからだの持つ素晴らしさは、神が人間のからだを超えた知性をもって創造したゆえだと聖書は説明しています。
「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性(しんせい)は、世界が創造されたときから被造物(ひぞうぶつ)を通して知られ、はっきりと認められる」(ローマ 1:20)
この聖書のことばは、人間のからだや自然などの被造物(神が創造したもの)を見れば、神の存在がはっきり分かる、という意味です。
さらに、人間が死後の世界など永遠に関わるものに思いを向ける性質は神が与えたものだと聖書は言っています。
「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」(伝道者の書 3:11)
生物進化の考えだと、単純な物質が長い年月をかけて、高度な知能と身体機能をもった人間にまで進化するということになります。しかし、これは、AIが長い時間をかけて偶然に存在するようになったと考えるのと同じくらい無理があるのです。
聖書が述べているように、知性ある神がはじめに天と地を創造し、人間を人間として創造したと考えることは、とても理にかなったことではないでしょうか。
ご自身を現す神
さて、神がご計画をもって人間を創造されたなら、神が人間にご自身を現そうとお考えになることは自然なことです。
事実、神は大きく分けて二つの方法でご自身を人類に現しておられます。
一つは、聖書を通して。もう一つは、イエス・キリストを通してです。
一つ目の聖書については、聖書では幾度となく「神」ということばが使われています。詳しくは『聖書は神のことば?』をご覧いただければと思います。
二つ目のイエス・キリストについてですが、聖書はこう言っています。
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネの福音書 1:18)
神は人知を超えた存在であるゆえ、神がご自身を私たちに教えてくださらない限り、私たちは神について詳しく知ることはできません。地球や体の仕組みを見て神の存在を見い出すことはできても、神がどういうご性質で、私たちをどう思っておられるのかなどは、良く分からないままで終わってしまいます。
神は、聖書とイエス・キリストを通して、ご自身の存在とご性質を明らかにしておられます。
しかし、神が私たちに知って欲しい一番のことは、「神が私たちを愛しておられる」ことなのです。
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙 5:8)
「神はそのひとり子(キリスト)を世に遣わし、その方によって 私たちにいのちを得させてくださいました。それによって 神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネの手紙第一 4:9)
【あなたへのメッセージ】
神にとって、あなたはかけがえのない存在です。
もし、人間が進化を経て、地球上に存在するようになったのなら、あなたの存在価値はどれほどでしょうか?
進化のキーとなるものに「遺伝情報」があります。私たち一人ひとりは、それぞれ微妙に異なった遺伝情報を持っていますが、その多様な遺伝情報はヒトという一つの種(しゅ)がこの地球上で生き残るために大切なものであると生物学では考えます。
ですから、進化の観点からあなたの存在価値を判断すれば、「あなたの持つ遺伝情報を次世代に伝えるための運び屋」という価値になります。進化に基づく価値基準で世の中を判断すると、次の世代に遺伝情報を伝えない人は、価値がないということになりかねません。
果たして、人間とはそのような存在でしかないのでしょうか?もし、そうなら、あなたは何のために生きるのでしょうか?
聖書は、はっきりと、神が人間を創造されたと教えています。人間は偶然の産物ではありません。ただの物質の集合体でもありません。神のいぶきを吹き込まれた、他の生物とは違う特別な存在です。
そして、あなたは、かけがえのない、愛されるための存在なのです。
「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り」(エレミヤ書 1章5節)
神はあなたを愛するしるしとして、神のひとり子イエス・キリストをあなたのために十字架につけました。
罪のないキリストに、あなたの罪を負わせ、あなたが本来受けるべき地獄の苦しみ(罪に対する神のさばき)を受けさせたのです。
罪の中に生きるあなたをご自身のもとに取り戻すために、神が払われた犠牲は、ひとり子のいのちでした。
「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神…」(ローマ人への手紙 8章32節)
あなたは、神のひとり子イエス・キリストのいのちと同じ価値があるのです。
ぜひ、この神の愛に応えてイエス・キリストを信じ、神とともに生きる人生をスタートされますように。