イエス様を信じた理由(加藤信洋)

加藤 信洋 (牧師)

 私はイエス様を信じる以前、人間というのは生きる目的を探しながら生きる存在だと思っていました。しかし、今思えばそれは一時的な目標は見つかっても、人間の生きる真の目的は見つけることができなかっただろうと思います。

 私が札幌に来て2年目の春に、アルバイト先でクリスチャンの方から、福音を聞き、集会の案内をもらいました。それまで、福音の「ふ」の字も聞いたことがなかった私には、何か新鮮な感じがしました。私は教会の集会案内に従い行ったところ、集会はすでに終わっていました。が、クリスチャンの方がまだ残っていて、そこで改めて福音を聞きました。そして、その時に、聖書について学んで行く約束もしました。

 私がイエス様を信じたのは、その聖書の学びの時でした。

聖書の中で書かれている罪はすべて自分に当てはまることに驚きました。特に、人間が創り主である神様を無視し、神様に生かされているにもかかわらず感謝しない生き方こそが罪であるというのは、納得さえしました。また、聖書は、罪には刑罰がともない、それは死後の地獄でのさばきであるとはっきり書かれていました。他人の死は考えたことはあっても、自分の死については考えたこともなかった私は、ショックを覚えました。

 しかし、神様は、罪を悔い改めて、そしてイエス様を心から信じる(信仰)だけで罪ゆるされ、地獄から救われるという道を、私のために備えてくださったという嬉しいニュースを耳にしたのです。神様はたいせつなひとり子のイエス様を、私のために十字架に架け、墓の中からよみがえらせてくださいました。

 その学びの終わりに、クリスチャンの方が、神様は罪を犯し続けている私が悔い改めるのを、今も忍耐をもって待っておられる、と言いました。私は、それを聞いた時、自分はなんて罪深い人間なのだろうと思いました。そしてどんなに神様を悲しませているのだろうとも思いました。自分では、それまでの生き方は全く間違っていないと思っていたのに、神様の前ではとんでもない生き方だったのだとわかったのです。イエス様は私の身代わりに死なれたというのに、自分はのうのうと己のために生きている、これほど罪深い生き方があるか、と自覚させられました。

 これらのことを知らされ、思い巡らした時、私はただただイエス様を、救い主として信じ受け入れました。イエス様と聖書のみことばを拒む理由はどこにもなかったのです。

『人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。』

​ー聖書ー